世界遺産は、ヒトや自然がつくり上げた遺産のなかで、世界中の人たちの宝物として守っていく必要のある貴重な文化財や自然のことです。
1972(昭和47)年、世界のたくさんの国が加盟しているユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の総会で、「世界遺産条約」というきまりができました。これは、地球上にある大切な自然や歴史のある建物、場所などを、人類みんなの「たからもの」として決め、こわれたり、なくなったりしないように世界中の人が協力して大切に守ろう、というきまりです。この「たからもの」のことを「世界遺産」とよんでいます。
「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、2021(令和3)年7月に日本初の先史時代の文化遺産として、世界遺産に登録されました。わが国には、文化遺産20件、自然遺産5件の25件が世界遺産に登録されています(2023(令和5)年3月現在)。
日本の世界遺産
「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、今からおよそ15,000年前から2,400年前の縄文時代に、北東アジアで発展した採集・漁労・狩猟を基盤とした定住の開始・発展・成熟の移り変わりをよく示すもので、農耕社会以前の先史時代の人々の生活と精神文化を伝える文化遺産です。
縄文時代の人々は、この地域の環境のもとで食料を安定して確保するとともに、約15,000年前には土器を使用して、定住を開始しました。その後、1万年以上にわたって気候の温暖化や寒冷化及びそれに伴う海進・海退といった環境の変化に適応しながら、採集・漁労・狩猟を基盤とした生活を継続しました。また、墓や環状列石、土偶なども数多く見つかっており、当時の精神文化を今に伝えています。
「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、北海道・青森県・岩手県・秋田県の4道県に所在する17遺跡と2つの関連資産とで構成されています。これらは遺跡の構造や立地環境によって、定住の開始・発展・成熟のステージにそれぞれ位置づけられています。
入江貝塚はステージⅢ定住の成熟前半(共同祭祀場と墓地の進出)、高砂貝塚は後半(祭祀場と墓地の分離)に位置づけられます。
北海道・北東北の縄文遺跡群の分布(縄文遺跡群世界遺産登録推進本部制作)
縄文時代は今から約15,000年前に始まり、2,400年前に終わりました。
縄文時代には、土器や弓矢が登場し、「移動」から「定住」へと大きく生活が変化してムラ(集落)も作られるようになりました。ムラの中には住居や墓が作られたり、貯蔵用の穴やまつりの場所などが作られるようになりました。
縄文時代は土器の移り変わりによって、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6期に区分されています。
日本列島には縄文時代の遺跡が約90,000ヵ所あり、そのうち北海道には7,000ヵ所以上が見つかっています。また、貝塚は北海道では縄文時代から近世アイヌ文化期まで、約250ヵ所が見つかっていて、噴火湾沿岸では20%にあたる50か所が見つかっています。
貝塚からは大量の土器や石器、骨角器などのくらしの道具や縄文人が食料にした貝類や動物・魚の骨が含まれています。また、縄文人のお墓も貝塚につくられていることから、縄文時代の貝塚は単なる「ゴミ捨て場」ではなく、神聖な場所だったと考えられます。