高砂貝塚の概要

 

高砂貝塚は、1950(昭和25)年に伊達高校郷土研究部によって2ヵ所の貝塚の存在が明らかとなりました。その後、1963(昭和38)年と1965(昭和40)年には、札幌医科大学によってA地点貝塚の調査が行われています。

貝塚は縄文時代後期初頭のものが2ヵ所(A・C地点)、晩期(D地点)のものが1ヵ所認められ、A地点貝塚からは縄文晩期につくられたお墓や配石遺構が見つかっています。

そのほか、近世アイヌ文化期につくられた貝塚や畑の畝跡が見つかっていて、長期間台地が利用されたことがわかります。 

 
高砂貝塚の遺構の分布
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A地点貝塚

1963年と1965年には、札幌医科大学によってA地点貝塚の調査が行われました。貝塚は縄文時代後期初頭(約4,000年前)に形成されたもので、エゾシカ、オットセイ、イルカなどのほか、岩礁性のイガイ、ヒメエゾボラなど15種類の貝類で構成されていることが明かとなりました。

人工遺物は、縄文後期初頭の余市式土器を中心として、そのほかに石器、骨角器などが出土しています。また、このときの調査で、縄文晩期に形成された墓坑が28基発見されました。

墓坑は、配石を伴い、底にはベンガラが散布され、大洞C2式土器を主体としてヒスイ製玉、緑色凝灰岩製の小玉や黒曜石製の石鏃などを副葬品として埋められていました。 

人骨は25体分が確認されています。墓坑の周辺には、この時期に形成された配石遺構が10基確認されており、位置も墓坑に近接していることから、墓坑群と関連を持つ遺構であると考えられています。

 
高砂貝塚A地点の貝塚断面(後期)約60㎝の厚さがあります

 


貝層下から見つかった石組炉 火を焚いた跡が赤く変色しています

 

縄文時代晩期のお墓(約2,800年前)

高砂貝塚では、A地点貝塚から晩期中葉(大洞C2式)の時期に属する28基の墓抗が検出されています。お墓は副葬品を伴い、すべてにベンガラ(赤色顔料)がふりまかれていました。人骨は、北~西に頭を向けたものが多く、東~南頭位のものは少ないといえます。

お墓に埋葬された縄文人は、15才以下の子どものお墓が9基、大人のお墓が15基で、この中には妊産婦のお墓も見つかっています。性別がわかる15体の人骨の中で、男性5体、女性が10体あり、また、平均身長は男性が161.4㎝、女性が149.3㎝であることがわかりました。

頭の骨をよく調べてみると、外耳道という部分に異常が認められました。これは「外耳道骨腫」といって、冷たい水の刺激を受け続けた結果、骨増殖を起こしてコブのようなものができると考えられており、高砂貝塚では大人の人骨15体中7体にこの症状が見られました。

 

 
配石遺構

 
 副葬品のヒスイ

 
21号墓(右下)と25号墓(左上)

 
14号墓(熟年女性)

 
10号墓(4歳前後)

 
25号墓(乳児)

  

墓坑群の北側には配石遺構が10基見つかっています。そのうちの1基からは、腕の折れた土偶(あるいは動物形土製品)とさらに下から3個の土器が見つかりました。


土偶の出土状況(配石遺構)
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 縄文土器の出土状況(配石遺構)

中央の土器にはベンガラが満たされ、左右の土器から貝片と小魚の骨が入れられたことから、祭祀が行われた場所だったと考えられます。

 

C地点貝塚

時期:縄文時代後期初頭(約4,000年前)

遺物:縄文土器(余市式・入江式)、釣針や銛頭を中心とする骨角器

その他の遺構:墓坑

1993~1997(平成5~9)年に実施された詳細分布調査で確認されました。その後、2005(平成17)年の調査で貝塚の範囲を確認しました。

その結果、C地点貝塚は縄文時代後期初頭の時期に形成され、貝層の厚さは最大で45cmですが、最大幅14m、長さ50m以上の弧状を呈する大規模な貝塚であることが明らかとなりました。


C地点貝塚(後期)

 

貝塚は、アサリを中心とする貝や岩礁性のタマキビ類やイガイ類、ニシンやカレイを中心とする魚類が多く見られ、哺乳類はエゾシカ、オットセイ、イルカなどが見つかっていますが、魚類に比べて少ないことがわかりました。 


 貝塚断面(約45㎝の厚さ)


 マグロの椎骨

 

C地点貝塚から発見された遺構や遺物

<骨角器>

下の写真は銛頭です。尾部は二股に分かれていて、格子状の刻みが入れられています。

 
銛頭の出土状況(後期)

 

<墓坑> 

1997(平成9)年の調査でC地点貝塚から墓坑が1基発見されました。手足を強く折り曲げてやや右側に向けて埋葬されていました。

人骨を調べると、25~35歳くらいの男性で、推定身長は約162㎝ということがわかりました。時期は、縄文時代後期(約4,000年前)と考えられます。


 墓抗の調査状況(後期)

 

<石組炉>

縄文時代後期初頭につくられたもので、方形に石を組んで、その中で火を焚きました。竪穴建物跡に伴うものと考えられます。


石組炉(後期)

 

D地点貝塚

時期:縄文時代晩期中葉(約2,800年前)

遺物:土器、石鏃、スクレイパー、砥石、石斧、骨角器は銛頭

遺構:土坑(晩期中葉)

 

D地点貝塚平面図

 

D地点貝塚は、C地点の約30m北西にあり、縄文時代晩期(大洞C2式期)に形成されました。南北に25m、幅15mの範囲で楕円形を呈すると考えられます。貝層の厚さは約30㎝です。


D地点貝塚の状況(晩期)

 

貝塚の内容は、調査区の北東側では海獣骨などが中心で、貝類は少ないという特徴があります。南西側は魚骨と貝類が多く、平面での観察では貝類はタマキビ類やアサリなどが主体を占めています。


D地点貝塚の状況(晩期) 

 

D地点貝塚の遺構と遺物

<土坑>

長軸1.2m、短軸0.8mの長楕円形の土坑です。まわりの焼土が切られていました。土坑の中から遺物は出土していませんが、掘り込みの位置から縄文時代晩期につくられたものであることがわかります。


土坑の調査状況(晩期)

 

<縄文土器>

縄文時代晩期の中ごろにつくられた土器(桃内式)です。D地点貝塚からは一括土器が数多く出土しています。

 
縄文土器の出土状況(晩期)

 

<骨角器>

D地点貝塚からは縄文時代晩期につくられた銛頭が2点出土しています。シカの角でつくられていて、尾部は二股に分かれています。


銛頭の出土状況(晩期)